INFPの転々白書

その時の価値観を書き殴る。

俺の中の成熟したマインド

○恐怖

いきなり大声で怒鳴る父。いつ怒られるのか、どうして怒られたのか分からないまま時を過ごした。

常に監視してきた母。いやそんなつもりは無かったのだろうけど、部屋に入ってくる際にはノックなどせず、人の恥ずかしい日記だのノートだのを無断で読んでいたらしい。

独占されていた。支配されてきた。何度殺してやりたいと思ったことか。まあ俺なんかよりも親に酷い目に遭わされてきた奴は腐るほどいるのだろうが、俺は俺で捻くれちまった。

反抗期などなかった。憤りに意味を見出そうとすると、その度に冷めてゆくためである。俺の言葉なんかじゃ父には何も伝わらない、とこんな風に。父に、俺のやること、やったこと、作ったもの、書いたもの、褒められたことなんてなかった。そのまま俺の自尊心や自立心なんかが成熟してゆくに連れ、俺の心は父から離れた。だからこそ未だに依存している要素があるという現実がムカつくのだ。

なぜ俺はこうなのだ。自信が持てない。

 

○成功体験皆無

この歳で成功したという体験などない。誰よりもない。そんなことないでしょーとかほざいてくる馬鹿どもが、今日も俺の頭をグルグル巡って作業を滞らせる。くそが。知らねえくせに触れるな。

もう面倒だからみんな消えればいいと思うよ。

 

はあ。

 

小学生の頃、土日の日にはよくウチの裏の保育園に友達4,5人で忍び込んで遊んでたな。木に登ったり隠れ鬼したり。夕方になってくると、あーもうすぐ6時のチャイム鳴っちゃうなーとか考えながらよ、んで6時に公報の「お家に帰る時間です」っていう放送が流れて、みんな帰っちゃって、おかーさーんごはんなにーって聞きに行った所でカレーの匂いに気付いて。

 

母が死んで一年経っちまった。

なぜ変わらんのだろうか俺は。

 

DAIGOの話だと確か人間の考え方やらパーソナルやら知性やらはガキの頃に決まるんだとか。だがアドラー心理学では、過去とかそんなん関係ねえから、っていう視点なんだよな。

俺はもうわけが分からないよ。変われない、それが分からないままだ。

あの6時の公報の流れない街に越してきて4年、俺の中のマインド、本質のところは、もう変わることは無いのか?