コミュ障になった契機その1
今回は俺の過去について書く。
このブログ、どういう形に落ち着くだろうか。最終的には傷の舐め合いになってもええわ。てか傷を舐め合う場所もなしに生きていけるならインターネットとかそんなやらないよね多分ね。
出典:Pixabay
○入り口はゲーム
あれはたしか小6か中1の頃だ。エミュとマリオワールドっていうソフトを落として、あと名前は忘れたが、そのゲームを改造できるエディターをダウンロードして、毎日それで遊んでいた。日が暮れても改造していた。飽きたらYouTubeでゲームセンターCXを見ていた。完全に半引きこもりの状態であった。
中2の頃にはモンハンが流行り出したため、その頃には改造に飽きて手を引いたのだが、なんかその辺りから、おれのコミュニケーション能力に陰が刺し始めていたと思う。
というのも、改造だのエミュだのパソコンだのにハマる前と後では、俺の人生においての他者との会話の重要度合いが大分異なるのだ。
それまでなんて外で死ぬほど遊ぶガキだったし、まあゲームも好きだったけど改造しようなんて思わなかったし。休みの日は友達に電話して、とにかく誰かと遊んでいた。
それが小6のときに、パソコンが我が家に来て、家族が速攻で飽きたところを俺が独占し、熱中するようになって、何かが変わったのだ。
パズリングというダイソーで買えるパズルゲームをやっていたのだか、エミュとスーファミのソフトをダウンロードして遊びまくっている友達からその辺りのノウハウを聞いて、なぜか2台目のノーパソ(の割にはちょっとスペック良かった気がする)を母が買ってきたこともあって、俺も実際に改造をやり始めたのだ。
まーその結果、遊戯王のルール知らんから置いてかれるわ、ちょっといじめられかけるわ、少し厄介なイベントを経験し、改造に飽きるまで特に友達は増えず、減るのみであった。
○青春の後ろのほうで
中2になって、モンハンを通していろんな奴とそれなりに仲良くなる。モンハン関連のイベントに友達と出かけたりもした。そこでCDやアイルーの置物みたいなグッズを少しだけ買ってきて、夕方くらいに帰り、早速聴いてみたりしてた。なんだろう泣けてきたな。
好きな女の子が出来たり、友達とモンハンやったりと、まあ見た目は普通の学生だった。しかし周りの奴らは無意識のうちに「自分はどの人間関係に属するか」を考え始めていた。俺はそれをなんとなく認識していた。俺は特にどこに属そうが良い、その結果いじめられてもいいやとか考えていた。下手くそな発想、乏しい想像力である。
渡り鳥は大群となって、10代の前半と後半の間にある大海原を越えて行こうとした。おれは最後尾を飛んでいた気がする。
モンハンやってるときも部活サボってるときも感じていたからだ。俺以外の奴らが、俺の見てない所で、きちんと自らの行くべき道を熟考したり、素敵だなと思った人との思い出を作ろうとしているんだっていう事実を。
つづく。