INFPなりのツイッターの眺め方
最近は英語をシコシコ勉強しまくっています。
英語圏に向けて何かやりたいなーと考えているからです。
そして願わくば金儲け出来たらなーと考えているからです。
勉強時間の確保のために、今回はできるだけ短く。
出典:Pixabay
ツイッターはあれだ、陰口とかマジサイテーとか言いながらバズ目的に陰口を投稿するアホが主導権を握った場所だ。
「今日職場で、~~~~~(大抵同僚か上司のうんこみてーなセリフ)、こんなやり取りがあって戦慄した。とりあえず~~~(強引なオチ)した。」
どうよこれ。
もはや何が悪で何が善か、拙者には意味不明でゴンザレス。
〇自己啓発のジャンクフード化が止まらない
考えを深める人間は、どういう切り口であれ、やがて哲学にたどり着くもんだ。
ネットユーザーによるマインドの研究は、同じくネットユーザーやテレビなんかから適当にピックアップした「検討外れの意見」=「自分とは異なる意志」これを世に提示するために涙ながらの努力(クソみてーなデータ集めたりとか)を行なっている。
しかし俺の目には、そのデータとやらをきちんとした論文から引っ張ってきている例を見る機会が少なく映る。ほとんどは彼・彼女らの身の回りから収集したマイノリティなもの、或いはバイアスのかかった好都合な情報に見えてしまう。
”ツイッターなんてそんなものだ、何を期待しているの?向いてないんじゃない?やめれば?”
いざとなったらそう言えることこそ、彼らの最大の盾であり矛となっている。
責任の不必要性から起こる、幻惑キャッチボール。儚ねえ。
彼らにとって、一番大事なものとは何なのだろうか。
賞賛獲得欲求を満たすことか?
この手の輩が一人や二人ならまだしも、10匹20匹100匹以上いやがる。
どこへ行っても、人は居心地の良いコミュニティを求めるのだな。
最近うんざりし始めていることがある。
それは誰にでも分かりやすく味付けされ、150文字以内という規定に遵守させた一口サイズに切り刻まれ、いいねやリツイート数によって値が付けられ、パッケージ化されて店先に並べられている。
まるで惣菜かジャンクフードのようだ。
眺め続けていると吐き気がしてくる。
〇求めてしまう俺もまたアホ
そんな、コンビニと化したツイッターの一部だが、俺もまだ時々覗いてしまうのである。
将来への不安、現在への不満、過去への虚無感が、俺の手をそっちに引っ張っていくわけよ。
ほーら食えよ無料だぞ?って、のっぺらした画面で向こう側にいる4千万人を超えるユーザーが作り出した意味不明なバケモンがよ、わずかであろう自己啓発っぽいツイートの並ぶバイキングまでの道を用意してくれる。
俺はアホみたいにヘラヘラしながらその場所へと向かってしまう。
へへwwwあwww旨そうっすねwwww
ちょっと油断したらすーぐこの調子である。
止めてえええええええええええええええええ誰かああああああああああああああああ嫌あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!1
〇英語圏のツイートは何書いてあんのか読めないので楽
英語のツイートにもそのようなものは当然あるが、今はまだ新鮮で慣れもないため楽しめている。
いや待てよ。
いずれスラスラ読めるようになったら同じことの繰り返しになるのでは。
そんなことは考えてはいけない。
動かなダメや。