悲観的な人間の憂鬱
I’m very against people labeling themselves as an “aspiring” anything.
— RogersBase (@RogersBase) April 22, 2020
You wanna do something? Do it. Don’t aspire to do it. Start doing it. Call yourself what you are and own it.
Wanna be an artist? Make art. Wanna be a content creator? Make content. Aspire to not be aspiring.
今日は暗い記事を書く。しかも独り言である。独り言であるため支離滅裂だ。
こういうコラムはね、読んだ人の孤独感・虚無感を一時的に和らげ、しばらく経つとより強める邪魔な要因となる。
ある種ドラッグだ。飲んでも何もうれしくないドラッグ。
暗い人まじむりーって人は引き返すんや。
人が吐いている姿を見るのはキモいだろう。
俺だってそうじゃ。
しかし吐かなければスッキリしないのだから仕方がないじゃあ~りませんか。
出典:Pixabay
〇ここどこやねん
物すご~~~~~~~~~~~~く広い海の上にプカプカ浮いとるボートに生まれた。
さあ!どこへ行っても良いですよ!
そういわれたからここへ来たが、なんとまあ美しくも絶望的な水平線を眺める日々しかないわけ。
金にならない道楽、娯楽、勉強、それらに惚れこんでしまい、結果この場所から眺める無数のボートが相対的に満たされているように見える毎日である。
友にも、親にも、一度でも「それいいね!そんなの作れるんだから胸はれよ!」みてーに言われたことすらなく、つまり自分のセンスの無さが客観的に証明されるというアホ丸出しのコンテンツばかり生み出している。
褒めてくれよなんて言えばダサい奴扱いされる地獄の教育システム。
そして、ルールを理解しようとしまいと、その型を破ろうと努力すれば、「いや、お前どこ行こうとしてん。みんなこっち行っとるやろがい。こっちや、こっち来んかい」と連れ戻される、保険の役目も担うがために余計癪に障る救済システム。
どっちへ行っても引力が背中を襲う。
ぼちぼちボッチの猫背野郎の誕生である。
つまらん。第一、ここは一体どこなんや。
一瞬ならば楽しめる。
酒飲んでゲームして、寝る前にYoutube見て、あー今日のコンビニのレジの子可愛かったなーとか考えながら寝る。
そして翌日の朝。
百式の零を放った後のネテロが鏡に映っている。
誰だコイツ。
〇好きなことを生み、勝手に落ち込む
好きなことと自分の経済、そして社会とをリンクさせようとすると、とてつもない疲労が発生する。
これには理由がある。それは俺が単純にゴミカスだってことだ。
面倒な課題が多量にあるのだ。
まず、好きなことをやれ。と言われる。
実際にやろうとする。
必要な機材なんかを調べてみる。
するとどうだろう。ものすごーくお金がかかるらしいではないか。
動画編集ソフト、収録器材、教材。
俺はクソ貧乏なので出来るだけ金をかけずにコンテンツを作る必要がある、ということが分かる。
したがって知恵を絞る。考えて工夫して、路頭に迷ったらツールに頼れないので(金ねえから)また考えて工夫して、そして妥協して作っていく。
しかし金をかけて作る連中に適うはずもなく、俺の生み出したものは一人残らず沈んでゆく。
同じ状況から這い上がっていった連中はたくさんいる。そういう人間は調べればすぐに出てくる。
単純に、知恵の差である。
知恵も経済力も貧困している。
こんなのとても一人では・・・となる。
何度経験したことか。
愚かなり。金のことだけ考えれば稼げるはずなのに、それが出来ない。
〇休日、曲を作り続ける奴
作曲において、俺には根本的な音楽への理解度がない点が如実に表れる。
俺はDTMをやっている。
DTMとは、パソコンで作曲を行うことだ。
今の時代の作曲はパソコン一台で済ますことが出来るといわれている側面があるが、それでもギターやピアノやボーカルなんかを録音することが今もなおオーソドックスであるように俺には見える。
人は、人に惹かれるためだ。
なので生の音の方がソフト音源よりも鮮明に聞こえ、聴衆の右脳を程よく刺激するんだと思う。
一方俺のように完全な打ち込み=楽器を使わず、パソコンに内蔵された音を楽器の音に変換した音源を使用した作曲方法では、どちらかと言えば聴衆の左脳にストレスを与える、つまり分析を強いるんだと考えている。
その上、俺は作曲に屁理屈を封じ込める。
自分なりの理屈がある、だから身動きできないのですと大っぴらに宣言する、つまり屁理屈だ。
普通ここのコード進行はこうだからこうしよう、そしてここの展開ももっと複雑にしよう・・・という感じで、妙にスムーズでない完成形を目指して進めていく。
聴けばイメージ(想像)出来る音楽と、個性的な上に分析を求めるロマン主義的な要素を詰め込んだ音楽とでは、前者の方が効きやすいのは明白である。
憩いを求めて音楽を聴いてんのに、誰が好き好んで分析し始めるというのだ。
〇作曲に限らず
万事が万事こういう調子だ。
働くことも、人間関係も、何もかも。
頭の中が常にごっちゃごちゃだ。
なんでこうなの?とか、なんでこれが普通ってことになってんの?とか、いちいち考えている。
俺の頭に針を刺せば、きっと破裂する。
英語の学習も、前置詞とか助動詞への理解を少し掘り下げると、ある日急に複雑になる瞬間が訪れる。
なんでこうする必要があるんじゃ、と文句を言い始める。
非常にまずい。
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総合すると、俺は理想が高すぎるのだろう。
異性に対する理想は低い。
自分に対する理想が高い。
○○をするためには、あれもこれも出来るようにならなきゃ・・・!という強迫観念を使命感モドキで包み込み、文字に出来ないガラクタが積みあがってゆく。
疲れるぜまったく。
海外のストリーマーのツイートで英語のリーディングを練習してるんだけど、なんか意外と精神論的なコラム多くてびびるわ。
どこも同じなんか。