INFPの転々白書

その時の価値観を書き殴る。

夢は持つよりも眺めるものか

f:id:Nohta:20200403062238j:plain

出典:Pixabay

やりたいことはある。だがもし失敗したら失うものが多すぎる。考え様によっては失うものなんて何も無いと言える場合もあるが、実際のところ友達からの印象と関わりなんかは変わるかもしれないし、恋人にはびびって逃げられるかもしれないし、、、といった具合に、まあ失うもの結構あるよねってのが俺の考え方だ。きっとそう考えてるやつは多い。これは考え方として否定されたくない。俺はそう考えながらもアホみたいな生き方をしているので、この考え方に対しての批判なんて頑なに拒絶する気は毛頭ないけど、まあ実際そんなもんだろという一種の諦めに似た感覚を起因とした考え方だし、今は多様化なんてものにもカウンターを喰らわせるがごとく風潮と自己責任論に支配された時代だから、「いやいや失うものなんて無いんだから好きに生きればよくねー?」なんて言われても「いや現実そうもいかんだろ。おれは好きに生きてるけど」と言いたくなるわけ。

子供たちの間でYouTuberが憧れの職業笑にランクインしたらしいと聞いた時、俺はただ微笑ましかった。

まあ子供から見ればヒーローに見えるんだろうなーと。

だが世の大人たちは震えたらしい。あんたらの無駄な職務の賜物がこの現実だということにびびってんのかなーとか思った。

YouTuberがどうしてまるで得体の知れない根無草の人間に見えるのか。あれはただのエンターテイナーか広報に過ぎないことは見れば一発で分かりそうなものだが。

セミナーだのオンラインサロンだのへの勧誘か、どっかの企業の商品のレビューか、ゲーム会社の宣伝か。

それを個人でやっているだけであり、個人による仕事の受注やら企画やらは(企業の役人がチンコ脳なので当てにならなくなった今は特に)すでに経済に浸透しているわけで。

まあそんな話はええわ。俺が気になるのは銭ゲバ野郎が増えた時代における居心地の良い場所の減少だ。

使える金が少ない。だから副業でもはじめる。のではなく、だから安物や紛い物で節約するやつの増加。

まあ仕方がない。副業は副業で面倒だし、YouTubeなんて顔出しでもすればほとんど人生を売る様な行為に等しい。ましてネット民にとって彼らほど美味しいオモチャは他にないのだ。誰が好き好んでそんなリスクを背負うだろうか。

だから全く面白くなくたってノーリスクである現状維持を選ぶことは合理的な選択なのだ。

現代でのノーリスクで合理的な日々とはつまり企業にとって都合の良い要素のみで自分の人格と日々を構成することだ。

いい様に動かされても文句を言わないし疑問も抱かない。これは真面目なのではなく人が好過ぎるってこと。YouTuberを見下し貶すのも、まとめサイトでのネタ的コミュニケーションも、ツイッターでの煽り合戦も、そんな日々の反動なのではないかと俺は思う。

今は大きな夢なんて持つこと自体馬鹿馬鹿しい時代だ。

それよりも夢を持ち崩壊した者や成り上がった者を見たり貶めたりする方が爽快だ。楽だし気持ちがいい。

成功話なんかよりも失敗談のほうが良いんだ。誰か目立っている奴が一つミスったら、そのミスを掘り下げていきソイツの本質へ近づいてゆく。人は本質の外側に何枚もの殻を纏い本質を守ろうとするが、それは本質に少しでも触れられたら激痛が走るからだ。それほど本質とは敏感で、本人にとって触れられたくない場所。みんなそれを無意識のうちに理解しているので、他人のミス=傷を広げ、入り口を確保し、殻を破り、本質めがけて食い荒らしながら進行するのだ。

要するに俺たちの根っこはマスコミと同じってことだ。飯のタネにしていないというだけで、さほど違いはない。

稼いでいるわけじゃないから俺たちのがマシだとか言っちゃう老害候補ばかりが量産され、老害はサービスを要求したら供給側の多くは従うしかないということを学習するのでさらにクソみてーな仕事が増えてゆく起因となる。

 

疲れてくる。

夢は眺める時代なのだろう。

一億総活躍笑。

国民総奴隷化だろう。

あーあ。