INFPの転々白書

その時の価値観を書き殴る。

消費者体質と100日後ワニの死後

なにか好きな物を作っている時、俺の中にある消費者体質と生産者的意識がぶつかり合う。そして集中力が散漫になったり作業に行き詰まると、大抵消費者体質が勝つ。

消費者体質とは、普段サービスを受けている時の姿勢だ。例えばYouTube。つかほとんどYouTubeYouTubeをだらだら見ている時の俺の脳内からは消費者体質特有の分泌液がドバドバ出てきている。俺は作曲がひと段落つくと、ついついYouTubeを開いてしまう。まあ10分くらいならええかと思い、作曲を中断する。その時必ず面白い動画を見つける。10分はあっという間に消えてゆくが、まだその動画は続くし、なんならpart10くらいまである。10分じゃ足りないねえ。んで10分経っているのにまだ見続ける。こうなると作り手側に回る気が失せていく。ずっと誰かの用意したプラットフォームで、誰かが作ったものを食いつぶすことを望んでいる状態が続く。どうしてこんな思いしなくちゃいかんのや。所詮俺はプレイヤーでしかないのか。そんなことを考えるわけ。

甘やかされて育ってきた。それは認めざるを得ない。しかし親のせいにする気なんてあるはずも無く、この甘ったれた体質は自分で乗り越えるしかない。

俺は今までいくつもの曲を作ってきたが、その全てを世に出してきたわけじゃない。ハードディスクの奥の奥には、作曲を初めてまだ間もない頃の初期に作曲した曲がかなり封印してある。理由は、ウェブに投稿した曲が評価されたことがないからだ。どうせこの曲も誰にも聞かれない、そう思うとYouTubeSoundCloudに投稿するのも億劫になり、ハードディスクの空いているところに適当に投げ込んできた。しかし最近は、やはり俺には作曲しかないと考え、作曲に費やす時間が伸びてきているので、かつてのように完成した曲をハードディスクに入れて終わりなんてことはしなくなった。だが作曲時間が伸びている原因は再熱したからというものだけでなく、前述したようなクソ甘カス甘な俺の根性との相乗効果だ。

この甘い姿勢を乗り越えるために必要なのは、やる気とかではなく物理的なアプローチだろう。期限とか。そうだな期限を設けるのが一番だろうな。いついつまでに○曲作ると決めて行動する。これを機械的に繰り返し、生活習慣に根付かせること。生産する側の楽しさを体感する時間を無理やり増やしてしまうことで、生産者的意識を叩き起こす。少しずつでも前進しなければならない。

 

消費者体質が当てはまるのは俺だけではない。ネット上には「タダ同然でサービスしてくれるのが当たり前、でなきゃ拝金主義だ」とでも言うかのような奴らがウヨウヨいる。100後に死ぬワニだっけ?あれも金の匂いがした途端に炎上したらしいが、「まあ今まで無料で読んできたし、そっからどんなサービス展開しようが知らんわ」とならずにきくちゆうきをボコボコに殴りまくってるのは草はえるわ。たとえ節操ない上に露骨な告知出されても、もうちょい落ち着いた反応くらい示せそうなもんだが。俺が鈍いだけかこれ。きくちは話持ちかけられて断りきれなかっただけかもしれないよとか言っても、プロ意識足りないねとか言うんだろうな。彼らは普段なに食ってるんだろうか。無料で食える石とかコンクリートとか食って生活してるのだろうか。俺があの炎上に突っ込むとしたら「なんで書籍化なの?サブスカでいいでしょ。」という点と「どうやって映画にすんの?まさかそのままアニメ化すんの?それとも主人公の自称なんの取り柄もないイケメン高校生が好きな女と一緒にスマホでこの漫画読み始めると二人の人生も変わっていって的なモキュメンタリー風にすんの?きも」という2点だ。

あーあともう一つあったわ。いきまのがかりの水野ときくちゆうきの釈明動画。あれ水野いる?まあいたほうが話しやすいんかな。いきものがかりっつったらもう一人のギター担当だかの茶髪のやつ、あいつすげープレイボーイらしいな。自信つくわ。