INFPの転々白書

その時の価値観を書き殴る。

YouTubeは俺みたいな陰キャを排斥してどうしようってんだ

12年ほど前のインターネットは砂漠だった。ユーザーにとってのオアシスは様々あった。2ちゃんねるピアキャス、ニコニコなんかがそうだった。YouTubeもだ。

インターネットには地図がなかった。初めて触れた時ユーザーにできることは検索くらいなもので、すべてはそこから分岐していく仕組みだった。シンプルなものだった。

やがて2010年代が始まり、あるオアシスは拡張され、別の場所には新しいオアシスができていった。それらは互いに干渉し合い、相互作用を深めていき、オアシス間に経済が生まれた。気がつくとインターネットはパソコンの垣根をとっくに越えて多くの人々に親しまれていった。俺はこの頃ワクワクしたと同時に寂しくなった。まだ高校生だったけれど、ネットというものの怖さを周りより知っていたからこその優越感みたいなものもあったかもしれん。だがそれ以上に、自分の居場所が奪われたような感覚を覚えていた。まじで何様なんだって話だが、それはなんというか、森の中の茂みを超えて自分だけの隠れ家を見つけて遊んでいたのに、その場所がバレて拡散されたような疎外感だった。

あのときと今を比べると、インターネットは明らかにつまらない。

 

今のYouTubeで起きていることは時代を反映したものだ。それは供給側の完全な競争の場であって、ユーザーにとってのフリーのフードコートだ。面白いと思うのはあくまでも"俺と気質の近い奴を見つけたとき"だけ。少しでも馬の合わそうな奴には強い不快感を抱く。そんな時は自分でフィルタリングさえすればこれほど便利なものは無いわけだ。便利便利。テレビの場合だとタレントやテレビ局は視聴者の質を絞らずに全員が見られるような物しか作らなくなったが、そこで多様化を始めたYouTubeはテレビに飽きた人間にとってはまさに新居といえる環境だったに違いない。とはいえ拡張にはフェンスの増量が伴う。参入者がゾロゾロと増えた結果、撮る側見る側どちらも規制だらけとなった。撮る側からすれば規約が厳しくなることは死活問題らしい。たしかに違反を犯せば広告が剥がされ、最悪アカバンだし仕方がない。でも俺みたいないけてない奴が求めているのは本能による本音と知性による演出だ。規約が増え、パフォーマンスの幅が狭まれば、もうなんか、醒めてしまうのだ。

つかぶっちゃけYouTubeの良いところって違法アップロードがほぼ黙認されているところだ。どんな媒体でも結局いずれ国民の権威主義な側面が露わになる良い例だ。所詮ネットなんて欲や野望みたいな人間の本質的な部分が丸裸に剥き出しにされる場所なんだよ。俺に言わせりゃほとんどのYouTuberとかアンダーグラウンドマリファナ売ってたら注目されましたよ的な奴らだ。

 

俺は死刑囚は動物園に放り込めば良いと思っている。ライオンとかシロクマなんかと同じ檻に入れてしまえば良い。食事は与えずただ放置しておくだけで良い。大勢の客がこぞって見にくるぞ。なんたって人間は他人の自殺をスマホで撮影してアーカイブに残すような動物だ。それが公に認められた場所で見られるのだ。全員幸せだ。死刑囚は死ぬし客は満足するし、動物園は儲かるだろ。動物にとってもまあ新鮮な経験になって良いんじゃねーの。人の味を覚えるから飼育員が大変だーとか言われそうだが、人の味なんぞ知らんでも人を襲う連中だ。変わらん。飼育員とて馬鹿ではないのだから、以降の仕事には今までより気を引き締めるなり別の動物園へ行くなりするはずだ。

YouTubeも同じだ。みんな得するのだから少しくらい野放しにしてくれたって良いのだ。ライオンと同じ檻に入ることを止めてやるなよ。良心が働かないアホは過激な映像に走り、社会に不満のある奴はブチギレた映像をとる。前者と後者で視聴者の反応はまるで分かれるだろうけど、みなそれぞれ考えることがあり、そしてそれぞれの反応を各々で示す。違法アップロードされた動画は普通に残ってるんだし、それで良いと思うのだが俺は。

みょーにいい子ちゃんぶってるのは気味が悪いんだよなあ。俺みたいなナルシスト陰キャがいなくなるような流れは勘弁しちくりー。