アイデアの洪水
画像:Pixels
アイデアがどんどん出てくる。こういう時、早いとこ形にしないと新規プロジェクトフォルダとメモ帳ばかりが増えていって、こんなに出来ねえよ・・・という意気消沈モードになりかねない。そうなると、一日中ゲームやるとかYouTube見るだけとかになってしまう。INFPの得意技、脳内完結である。
これを防ぐためにも、INFPはやっぱり作業自体には時間を掛けないべきだと俺は思ってる。
動画制作を繰り返しやってきて、効率の良いやり方をどんどん構築出来ている。俺の解説動画はただでさえ地味な作曲風景をいかにエンタメ性を高めて伝えるか、というところに的を絞ってるので、病気か?っつーぐらいの頻度でカットを使うし、5秒ごとぐらいにジョークを挟んでいる(こうでもせんとマジで退屈なのだ、作曲解説は)。
こんなこと即興でやろうとしたら頭がおかしくなるし、あっという間に疲れる。
なのであらかじめメモ帳に、
全体の流れ・脚本
挿入する素材の名称(SE含む)
これらを全て書き出しておく。この作業は酒を飲みながらでも良し。とにかく自分を労わる事が第一なのだ。
さらに動画の冒頭と最後はそれぞれ先にmp4として完成させておく。頭からケツまでを一度に編集するのはパソコン重くなるし客観的に見なければならない範囲が広くなってしまって疲れるためである。長ーい作業をこなすのでは無く、短い作業を断続的に行っていけば、まあ疲労を感じたりダルくなったりする頻度は下がる。
あくまで俺のやり方だけど。
朝から晩まで創作なんてのはINFPにはあまりオススメできないかなと。INFPは考えるのは得意だが、面倒というハードルを越えていく事が苦手なためだ。ただ、やっぱアイデアを溜め込みがちなINFPはそれをどんどん表に出していく方が良い。もったいないしな。
やっぱゆっくりはやる価値あるわ
コメントありがとうございます。
励みになりますさかいに。
画像:Pixabay
○ゆっくり解説
なんか一周回って、ゆっくりムービーメーカーを使った解説を作ってみた。作曲の工程をエンタメ性を重視した内容にして紹介・解説し、作曲に興味のない人でも見れるよう工夫を施しているところだ。内容もサムネもテンポもかなり頭を使う。なにせ作曲に全く興味のない人までも取り込もうと思うと、生半端なエンタメ性では届かない。いい意味でグズグズぐちゃぐちゃのナンセンス系にでもしてやろうかなと考えてはいるが、なかなかねえ、形にする段階で落ち着いたものしか出来なくなる。難しいもんだ。
なぜゆっくりを再開したのかというと、最近結構な割合でゆっくり解説を見ているのだが、ついでにコメント欄を見まくっている中で、このジャンルには安定した支持層があることを改めて理解したからだ。正直、偏った嗜好にしか知られてないとか思っていたのだが、どうやら受け手の幅は広いと見て良いようだ。ただし扱うジャンルにもよるだろうから、そこは頭に置いておく。
ゆっくり解説を始めることで、俺の作業工程はこんな感じとなる。
①録画しながら作曲。
↓
②ミキシング。曲完成。
↓
③完成した曲を波形付きの動画にする。これはこれで公開する。
↓
④ゆっくりムービーメーカーで録画を編集。
↓
⑤テキストや動画のテンポなど細かく編集。
↓
⑥書き出し。解説動画完成。
④からがきつい。正直この作業は辛い。
ゆっくりの編集のダルさをどうにか誤魔化せないものかと、いろいろ試行錯誤している。
⑤の中盤超えた辺りからは楽なんだけどな。
責任感の行方不明
どうも。私です。
〇無意識でのかすり傷的な行為や発言で批判の的になりやすい今、Youtubeを楽しむためには
1000人に見られているチャンネルがあったとする。
ってことは単純に考えると、発信内容の捉え方には1000通りあるということになる。
なぜならその1000人の母親と父親はみな違うからだ。
この時点で、「常識」という広ーーい箱庭の中心点から遠ざかった場所での行いには非寛容的な見解が生じるのはしゃーないやんな。1000人全員が笑って泣いてハッピーになれる発言だけしてろってのは無理だ。
じゃあ中心点の周りだけウロウロしてろ、なんてのもつまらないものだ。
俺たちの私生活の中には"意味"が詰め込まれている。働いて給料を貰っているのは"意味"があるのが大前提として存在しているからだ。
しかし人は意味のないことにも惹かれる。バカなことやってんなぁと笑いながら屁ぇこくのは楽しいもんだ。もし視聴者が提供者に対して「常識的なことだけやれ」と言ってしまえば、意味のない物は真っ先に削り取られる。
これだけチャンネルが大量にあるのだから、自分の肌感覚や時代感覚、価値観に合ったものは自分で見つけたい。もし、自分の好きなチャンネル内で違和感や拒絶反応が喚起される発言なんかがあった場合、潔くその人から離れるか、あるいは自分の価値観の許容範囲を広げるかした方が健全な気がするんだよなあ。「私の好きな○○さんのままでいてください!」とか言わずにさ。
つまりは見る側も(いちエンタメの存在を認める)多少の努力はした方がいい。
「自分はレイシストではない、そう考える人間はレイシストである」という認識が広く浸透してきている時代である。
もはやナイフを持っていない人間などいないのである。(諍いで大事なのって問題意識やら感情の抑制やら多々あるのだろうけど、まじで仲直りの練習不足だな日本って)
となると、面白い人を見つけたいならば、自分の性質を理解し、相性の良い性質を把握するところから始めることが大事だと俺は考える。これが俺の言う”見る側の努力”である。
いや分かるよ?いつもと同じように好きなチョコ食って中に銀紙入ってたらめっちゃ萎えるのは分かるんよ。
でも人間ってそうやん。
てか、そうなんやで。
その、たまに目に入ったミスで、その人のこと嫌いになりそうなぐらいだったら、一度その人から離れようや。精査する目を鍛えようや。
これが出来れば、Youtubeは精神衛生上なんの問題もない場所になる。
しかしあれだな。
人は破壊が好きなんだな(偏見)
創造は地味だし時間かかるし面倒だもんな・・・。
〇
っという感じの意見を優しくまとめて動画にして、今のYoutubeにぶち込んでやろうと考えてるんだけど、
どうやってまとめんだよこんなの。
想像してもめちゃ長い動画になりそうだし、でも性格的にも2分以上の動画にするとか論外やし・・・・。
無理かなあ。
あーでもなー社会風刺系つーかイライラ爆発系の動画ってかなり説明的なやつ多いし、エンタメ性高めの風刺やってる奴ってあんまりいねーから(あの激寒言ってやった系漫画チャンネルは除外の方向で)俺やりてーんだよなあ。
意地でもエンタメ性のある動画にまで昇華してぇなあ。
そういや最近とあるYoutuberのコメント欄で「ラジオ体操の動画にも低評価を押す奴がいるくらいです!これくらいの炎上で気を落とさないでください!」っていうコメントがあって関心した。
なんだその発想力。
羨ましいわ。
動画制作が面白い
どうも。私です。
最近、動画の制作にハマり始めた。
自分の頭と体でいろいろと試している。
顔も出してる。てかまじで全身使ってる。全身映ってる。
自分の姿を編集するのは面白い。朝から自分で笑ってる。
この半年は人生の中でもかなり突っ走った期間を過ごした。作曲作曲アンド動画制作。
オーディオストックの方で少しではあるが収益が出てるのは嬉しい。しかしやはり視覚情報のあるYouTubeの方が普通に再生されるし、コメントみたいな反応もあるので、最近はYouTubeの方に注力している。
あとホームページ作って、そこで楽曲を配信している。考えた末、楽曲自体は無料で配信、ページに広告を貼るという作戦にした。
どうやら俺たち人類は格安サービスに慣れすぎた。仕方ない。
自分で撮った。
○とはいえ
大失敗をしでかした。
12月の頭に、クリスマスに向けて、アンチクリスマス的な動画を作ろうかなと思ったのだが、結局「いや、純粋に楽しんでる人を傷つける意味あるか?」
「そりゃあある程度はその辺のことも考慮に入れて動画全体の流れ書いたけど、誰かを傷つけない自信あるか?」
とかなんとか意味不明なこと考えた挙句、作るの中止した。
ったくよ。
誰も傷つけないとか何とか。
あ、あ、あ、
ああああああああああああああ!!
無理なんだってそんなの!
とりあえず作れよ!
こんのバカちんがあ!!
死にてー。
こうして人はチャンス(?)を失うのだ。
○突き抜けたい
それにしてもYouTubeはあれやな、「YouTube(ビジネス)をやるならこう!」みてーな、形式つーか、型が収束してきたな。
これはみんなで作った部屋みたいなものだ。
少しずつ合理化され、視聴者の多数決によって作られた、一つの理想的なビジネスモデルや。
この天井モドキの蜃気楼をぶち破りたい。常識を壊してやりたい。
ああ、俺の中のブルーハーツが、なんか、ぎゃーって言ってる(語彙力)
事実、楽曲を作って動画にして、さー聞いて下さいね、だけではとっくに間に合わないほど競合相手との差があるし、俺自信物足りない。
作曲講座なんてのも既に飽和。イケメンかvtuberなら行けるかな、ってとこか。
となると、俺のチャンネルは「俺にしか作れないテーマパーク」みたいにするしかない。
今の俺のやり方は自分を売り込む方向性であって、既存のモデルに従えば従うほど、俺自身のトゲは削れてゆくので、ある程度のところで個性ってやつを出さなければならない。
当然、制作の基礎やベースになる部分は他の動画をかなり参考にしているが、味付けというか、自由にやってもいいであろう部分においては俺の視点を詰め込みたい。
とゆーことで、エンタメ系のチャンネルとして育てていくことになったわけだ。
俺には売れる情報も技術もない。
つーかそれを売る技術自体ない。
なので仕方がないし、まあ都合が良い。
どうなることやら。
今ね、楽しいんすよ。
コメント付くようになってさ、この曲動画で使ってもいいですか?みたいなコメントとかさ、エロ動画っぽいURL貼ってくるスパム野郎とかさ、うおーなんか俺ん所に人集まり始めてるー!っていうこの感覚。
楽しいわー。
そうそう、インターネットって楽しいんだよな。
忘れてたわ。
とまあこんな感じで、焦って間違えて悩んで鬱になって、また焦って間違えて、なんだかんだでちょっとだけ楽しかった2020年下半期なのであった。
とっととYouTubeの収益化を実らせたい。
○まとめ
やっぱナンセンスギャグって神だわ。
Outer Wilds配信を見た
俺がまだ高校生の頃(10年前)、ニコニコで実況動画を投稿していたT氏が、最近どうやらYouTubeにてゲーム配信をしているのを知り、速攻見てみた。
そこには懐かしのT氏と、これまた懐かしい知人枠のR氏の声が。
Outer Wildsをプレイしていたようだ。
10年前に俺が見ていた彼のシリーズは、T氏が中心となった4〜8人程のゲーム実況チームだったのだが、なんやかんやあったのだろう、今ゲーム実況に時間を割けるのはこの2人のみとなったっぽい。
当時は20代後半くらいのおもろい兄ちゃんたちだった。今では30代の既婚者である。
残りのメンバーはどうしているだろうか。
俺は、昔楽しんでいたコンテンツの制作者が突然そのプラットフォームから消えると、とても切ない気持ちになるという経験が多かった。今もそうかもしれない。割り切れんのだ俺は。ずっとそこにいるのが当たり前だったのに、ある日から更新が途絶えるあの虚無感。
わたもてという漫画でも、もこっちがゲームセンターに通っていた2人の少女について親戚の子に話すシーンがあったが、まさにあんな感じだ。
今でも高校生の頃に楽しませてもらった実況主のブログやツイッターなんかをフとした瞬間に「更新してるかな・・・」と気になって追うことがある。
その中でも、俺が知る限り今でもインターネットで何かを発信しているのは、T氏含めて3人だけだ。
T氏とR氏は相も変わらず、おもろい兄ちゃんのままであった。
という感じで、まじで懐かしい気持ちになったのも相まって、OuterWildsというゲームにとても感動した。
ゲームの可能性はまだまだ広がるのだなと。
考察なんかを色々検索してみると、まー出てくるわ、配信中に見落としていたアレやコレやが。
点と点が線になり、気が付くとめっちゃ大きな輪になっている。この感覚は、おそらく初めてだ。
感動したゲームは今までいろいろ出会ってきたが、ここまでくると体験とか経験のレベルや。
プレイしていない人は(俺も配信を見ていただけでしてはいないけど)ぜひネタバレとか攻略とか見ないでプレイしてね。
〇ところで
あれやね。
サイバーパンク、バグだらけっすね笑
旧世代かあ・・・。
はあ。
ある意味露出狂になりたい
○インスタ
SNS、使うべきなんかなあ。
もし使うとしたら、ツイッターは地獄だし、インスタになるのかな。あー、でもインスタもリア充ぶりぶりなんか。でもあえてリア充でない俺のクソダサ生活を見せまくるのも楽しいかもな。
リア充ぶった自撮りを載せる気など一切無い。どうせやるなら普通の使い方などせん。どうせ映えないのだから。ならもういっそのことだっさい姿撮って、フワちゃんみてーにアホ路線で行こうかなと。
今俺がやってるのは動画と音楽だけだが、写真撮るのはさほど難しくない気がするし。
俺にとっての個性の出し方ってそういうところしかねえ気がする。
最近はすっかりYouTube中心の生活です。
いかに自分の素を出すのかに集中しています。
他の人の動画見る時も「こいつ全然素見せてねーな」とか思いながら見ています。
素を見せないやつはかっこいいし、かわいい。
若い奴は特にみんなそれに引き寄せられる。
一方で俺がしょっちゅう見てる配信者はみんな素を見せている。不細工である。いろいろとへったくそである。そんなものに俺は惹かれる。非健康的な油を使わないで調理してくれている姿に惚れてしまう。
俺もこんなんなりたいわあ。
作曲はコンテンツとしては最悪だ。
出典:Pixels
〇Youtube
曲ばかり上げている。
投稿すればするほど、総再生数はまあ当然増える。増えるが、各動画の最高再生数(今の時点での天井)を突き破る爆発力は一切ない。
曲以外にも、作曲のノウハウ的なものも少し出してみたが、まじでこの手の動画は作っていて気が滅入る。自分の解説能力の無さに嫌気がさす。作曲講座が伸びている投稿者の解説は当然ながら非常に分かりやすいものばかり。あと投稿者の姿がちゃんと映っている。
分かってたけど、作曲というコンテンツは世間から言わせれば魅力的ではない。
「作っている人」や「歌っている人」みたいな、分かりやすくてカッコいいシンボルがなければ、やっぱ誰も聞かないのだ。
〇人が見ている物
人は、結局人に惹かれるわけで。
その証拠にVtuberで画像検索するとあーら不思議、中の人の画像がわんさか出てくるがな。
バーチャルのキャラクターは演出(俺は張りぼてって呼んでます)であって、「これ、後ろにはどんな人がいるんだろーなー」つってズカズカと敷居を跨いで顔を拝みたくなるのが人間なんや。
だからコンテンツ自体に推進力が含有されていない場合、いかに自分を曝け出すか、というところで頭を使うべき・・・なのかもしれない。
当然もっと真っ当な方法もあるだろうよ。
「作曲家として名を馳せたいなら音楽(だけ)で勝負すべきだ」
おっしゃる通りである。
しかし俺の音楽、はたして一般向けか?
いやあ・・・。違いますねうん。
それに、仮に作品のみで日の目を浴びることになったとしたら、ある程度自分の素性を隠す必要性を諭す奴も出てくるだろう。作品だけ見せろ、お前の"意見"には興味はない、といった具合に。俺はそんなの耐えられない。
〇とゆーことで
極力自分という人間性をむき出しにした動画も作ることにした。
世間に対する俺の視点を活かせるテーマでネタ動画を作る。
エンタメ性を持たせるために、ちゃんとジョークもぶち込んでいく。強引なパワー系で行く。
動画の長さは長くて2分ほどにする。編集に時間をかけたくないっすから。
なんか以前に似たようなこと言ってたなと思ったけど、そういやゆっくり解説動画なるものを作ろうとした過去があったんだった。
めちゃくちゃしんどいんだよなあアレ。
著作権だとかイメージの具現化の手間だとかを考えると、やっぱ自分の声を使うのが最強だと思うわ。
あー人生超キツい。
でもやってみたら面白いかもしれないし挑戦してみます。