責任感の行方不明
どうも。私です。
〇無意識でのかすり傷的な行為や発言で批判の的になりやすい今、Youtubeを楽しむためには
1000人に見られているチャンネルがあったとする。
ってことは単純に考えると、発信内容の捉え方には1000通りあるということになる。
なぜならその1000人の母親と父親はみな違うからだ。
この時点で、「常識」という広ーーい箱庭の中心点から遠ざかった場所での行いには非寛容的な見解が生じるのはしゃーないやんな。1000人全員が笑って泣いてハッピーになれる発言だけしてろってのは無理だ。
じゃあ中心点の周りだけウロウロしてろ、なんてのもつまらないものだ。
俺たちの私生活の中には"意味"が詰め込まれている。働いて給料を貰っているのは"意味"があるのが大前提として存在しているからだ。
しかし人は意味のないことにも惹かれる。バカなことやってんなぁと笑いながら屁ぇこくのは楽しいもんだ。もし視聴者が提供者に対して「常識的なことだけやれ」と言ってしまえば、意味のない物は真っ先に削り取られる。
これだけチャンネルが大量にあるのだから、自分の肌感覚や時代感覚、価値観に合ったものは自分で見つけたい。もし、自分の好きなチャンネル内で違和感や拒絶反応が喚起される発言なんかがあった場合、潔くその人から離れるか、あるいは自分の価値観の許容範囲を広げるかした方が健全な気がするんだよなあ。「私の好きな○○さんのままでいてください!」とか言わずにさ。
つまりは見る側も(いちエンタメの存在を認める)多少の努力はした方がいい。
「自分はレイシストではない、そう考える人間はレイシストである」という認識が広く浸透してきている時代である。
もはやナイフを持っていない人間などいないのである。(諍いで大事なのって問題意識やら感情の抑制やら多々あるのだろうけど、まじで仲直りの練習不足だな日本って)
となると、面白い人を見つけたいならば、自分の性質を理解し、相性の良い性質を把握するところから始めることが大事だと俺は考える。これが俺の言う”見る側の努力”である。
いや分かるよ?いつもと同じように好きなチョコ食って中に銀紙入ってたらめっちゃ萎えるのは分かるんよ。
でも人間ってそうやん。
てか、そうなんやで。
その、たまに目に入ったミスで、その人のこと嫌いになりそうなぐらいだったら、一度その人から離れようや。精査する目を鍛えようや。
これが出来れば、Youtubeは精神衛生上なんの問題もない場所になる。
しかしあれだな。
人は破壊が好きなんだな(偏見)
創造は地味だし時間かかるし面倒だもんな・・・。
〇
っという感じの意見を優しくまとめて動画にして、今のYoutubeにぶち込んでやろうと考えてるんだけど、
どうやってまとめんだよこんなの。
想像してもめちゃ長い動画になりそうだし、でも性格的にも2分以上の動画にするとか論外やし・・・・。
無理かなあ。
あーでもなー社会風刺系つーかイライラ爆発系の動画ってかなり説明的なやつ多いし、エンタメ性高めの風刺やってる奴ってあんまりいねーから(あの激寒言ってやった系漫画チャンネルは除外の方向で)俺やりてーんだよなあ。
意地でもエンタメ性のある動画にまで昇華してぇなあ。
そういや最近とあるYoutuberのコメント欄で「ラジオ体操の動画にも低評価を押す奴がいるくらいです!これくらいの炎上で気を落とさないでください!」っていうコメントがあって関心した。
なんだその発想力。
羨ましいわ。