INFPの転々白書

その時の価値観を書き殴る。

ミックス用のソフトは買うべきか

どうも。サイバーパンク2077欲しくて震えながらちまちま曲作ってる私です。

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出典:Pixabay 

YouTube

YouTubedに新しいチャンネルを作り、そこにポップス(歌詞なしの)投稿を1ヶ月ほど前から始めた。いまだバズってはいないが、自分の好きな曲しか使っていなかった頃に比べるとかなり再生されている。100再生行ったのもある。複雑である。

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なんかたまに1日に30再生されたりする。理由は分からん、、、

とりあえず、1再生もされない日はなくなった。うれしすぎる。

 

noteかboothでmp3の販売を始めようと考えているのだが、mp3だとなあ、音質下がるんすよ。wavの方が良いんだけどなあ。

 

○オーディオストックで曲が売れた。

一曲売れた。嬉しい。

76曲登録してあるのだが、その98%ほどがループ物である。

暗闇の中で、ようやく音のする方角が少し分かった、といったところ。

なんか企業のプロモ用の曲なんかが一番需要があるみたい。

ギターを使ったファンクは全く売れないようだ。

それから生演奏ものは強いらしく、サンプリング+打ち込みオンリーの俺のスタイルは珍しいのかもしれない。ここでも天邪鬼なのか俺は・・・。

9月中に100曲登録を目標としていたが、上記のYouTube活動に精を出していて無理になっちまった。

もっかいエンジンかけて集中せんと。

 

改めて考えると約2ヶ月で76曲ってすげえな。ジャンキーやん。

 

○ミックス用のソフトを買うべきかどうか

俺はCubase付属のソフトのみを使ってミックスしている。音圧は上がるが、品質の面ではプロとは比較にならないほどお粗末だ。

今まで見て見ぬ振りをしてきたが、このままだとやっぱり良くないなと思い始めてきている。

最近だとAIがミックスしてくれるソフトもあるみたいだ。すげー時代だ。しかし値段がね。4万って何だよ。このくらいのハードルは楽に超えられなきゃフリーの作曲家は名乗れんのか、こんちくしょう。

 

作曲の依頼を受けていくべきだろうか。

しかし勇気がねえ。

電話とかで会話したりせんといかんのかな、、、。

絶対初期のもこっちみたいになるわ・・・。

 

パソコンもいつ買い換えることになるのか分からない中で進まなければならない。大変やな。

 

 

学生時代の勉強って筋トレだったんだな

もうずっと前から、考える力が伸び悩んでいる。それに連動して、視る力も全然伸びない。おそらく大人として必要な基礎思考体力みたいなものが、学生時代に十分補えなかったのだろう。

 

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出典:Pixabay

プロのサッカー選手はエリート中のエリートで、成れる確率は俺の家に忍び込んだ助平なゴキブリの命ほどに儚いだろう。

日本代表を目指すならば、毎日決まったルーティンと体調管理を機械のようにこなし、ミスを反省し、いつでも最高のパフォーマンスを発揮できるようにしなければならない。海外へ行く機会があれば何よりそれを優先して語学を学び、毎晩腐ることなく仲間とのコミュニケーションを交わして、常にチームの効率化を図ろうとする姿勢が必要になる。

どれもこれも「学ぶこと」を怠ってなせる技ではない。

 

何もプロサッカー選手に限ったことではなく、人は学ぶことを怠れば、成る木も育たない。

人にとっての成る木とは、きっとやる気のことなわけで。

つまり自信に繋がるってことだな。

 

曲を作っていると、出来る工夫がまだまだ残っているのにも関わらず次の手順へと歩を進める場面がいくつもある。人の耳では聞き取れない音域の処理、左右のバランス、ベースの動き、聞いて欲しいメロディ以外の楽器の音量、、、

 

俺は完璧主義を理想としたことこそあるが、完璧にやれたことなど一度もないという自覚ゆえ、ある時期から自分の精神と体力に気を使うことを第一としてきた。その結果残ったものは、人の役に立っている人への嫉妬だ。完璧を心構え、ヘトヘトになるまで頑張っている彼ら彼女らを、皆応援する。この当たり前とされる風景に、俺は打ちのめされる。

 

勉強する習慣の基礎体力が付いていれば、こういう確執との兼ね合いも出来たのだろう。

 

 〇なぜ勉強が苦手だったのか。

おそらく、物事の本質や構造から知り始めるという工程に、俺は興味が持てなかったのだろう。

俺はいつも"どうしてこれはこんな形をしているのだろう"という、造形や見た目なんかから興味を持つ。次に、こういうパーツを使うと効率が良いからだ、と教わると、今度は「じゃあ他の形じゃあかんの?」とか新たな疑問が生まれる。これの繰り返しによって、いずれ構造や本質、方程式なんかに辿り着き、ようやく理解しようとすることが出来る。

こういう角度から切り込んでいかなければ、俺にとって勉強は非常に厳しいものでしかない。

学生時代の勉強はほとんど構造から入る。理科なんかは分かりやすかったが、それでも量子力学なんかのレベルになるとサッパリになる・・・。

 

 

興味のない話題とか振られたとき、俺は必死に「俺にとって分かりやすい入り口」=「見た目がかっこいい扉」を探すのだが、大抵は見つかる前に面倒になって放棄してしまう。

基礎体力が足りない証拠である。

これじゃあ脳みそも縮んでゆく。

 

泳ぐことに時間を使うか、眺めることに時間を使うか

たとえばデートやセックス=異性との閉ざされた関係を過ごすことや、友人とのキャンプやらバーベキューやらなどのこれもまた友人との閉ざされた空間を過ごすことが、俺にとっていかに難しいことなのかを書いておく。

 

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出典:Pixabay

○海に誘われたとする

友人らから海に誘われて行ってみると現地で友人の友人が現れたとする。たまたま居たのかもしれないし、移動中の車の中で「あいつも呼ぼうぜ」などと言い出した不心得者がいたのかもしれない。

俺にとってそいつは友人の友人であり、初対面もしくは会釈をする程度の関係なわけよ。

普段決まったルーティンをこなすだけのループする日々を過ごす俺と、そこから抜け出して仲間との日々を謳歌する連中の違いを思い知るのはこういう瞬間である。

俺が粛々と馬鹿正直にまっすぐ歩いている間に、みんなは何度も寄り道をし、白紙から始まる人生のカタログが写真でブヨブヨになるまで思い出を残すのである。新しい人間と出会い、新しい物に触れて、楽しい日々を送る。

こういった場面に出会すとね、自分がいかに小さく、根性なしで、ダサくて捻くれた奴なのかを痛ましいほどに感じ、寂しくなり、寂しがっている自分に無償で同情してくれる人がきっといるとか都合の良い事を考えはじめ、自分を信じられなくなるのだ。

 

俺は俺の中でしか俺の世界を閉ざしていない。なぜなら俺にとって「人生でやりたいこと・残したい意味」とは、俺にとっての最高の音楽を作ることだからだ・・・。誰のためにもならず、誰かとすることさえ難しいものだ。これからやりたいこと・興味のあることも山ほどあるが、全て物作りだ。消費する側にいて、満足できる自信がないのだ。

しかし彼ら彼女らは、そんな自分の世界ってやつを1ミリでも良いので何とかして友や恋人と共有しようとし、”閉ざした世界を誰かと共に”過ごしているのだ。そのために時間や娯楽施設を使って消費するのだ。おそらく彼らにとっての供給とは、「飯を食うためのもの」だとか、「誰かのためになればよい」といった潔い動機のもとに発生した"ついでのイベント"なのかもしれない。

 

家から学校へ、学校から家へ。

家から職場、そして家への繰り返し。

繰り返すことで得るのは、ループするだけの日々への不信と疑念と安心である。厄介なことに、こういう日々を繰り返す行為ってのは、安心・安全がある程度確保されているのだ。

望まなくとも手に入れることが出来る安心感。

口癖や行動の知れた仲に留まる程度の知人らとの関り。そして、通勤途中で手に入れることのできる最低限のライフラインを確保するための食糧や生活用品を、効率よく購入する工程を少しずつ構築していく半端な俺の生存本能。

全てが鈍っていくのが分かる。使っていない感覚と筋肉から徐々に凝り始め、やがてやせ細るだろう。

 

ループには安心感がぶら下がっているので、時たま「名古屋でも行ってみるか」とか思っても、いざ行動しようとすると勇気が必要になるのだ。慣れ親しんだ通路と街並みを外れる行為は、先に触れた不信と疑念と安心から外れる行為でもあるのだ。なんともガキっぽいというか、貧しい発想である・・・。日本では奴隷のような人々がどーのこーの言っている俺自身が、いちばん奴隷として理想的な生き物なのではないだろうかと思えるほどに、俺の首に巻かれたリードは俺の視野を犯している。通い慣れた道一本外れることが出来ない。そのくせ、人生において最も重要な機転である進学や就職からは大きく外れ、それでも生きようとしている、なんか大変そうな奴というポジション。

これもうわかんねぇな。

 

「友人は少ない方が幸せである。」

そりゃそうだろう。時間が確保できるのだから。

だが、みんなその確保した時間を満足するまで使いこなせているのか。そんな「本当の意味で充実した一日」を過ごすことのできる奴など本当にいんのか?

つべやヤフコメやツイッターなんかで、やたらと「時間があって自分を磨く陰キャのほうが陽キャよりも優れてるし魅力的」みてーな意見を見かけるが、どいつもこいつも本当に時間ってやつを惜しみなく使い果たして生きているのだろうか。

 

甚だ疑問である。

 

〇オーディオストック

そういえば報酬入った。

342円笑。

まあ前進してんのかな・・・。

 

 

現場、以上です。

 

 

 

コミュ障になった契機その2

どうも。サボり魔の私です。

最近、ほぼ1日一曲のペースでループ曲を作っているので、すっかり肩が凝っております。ループ曲の作曲はなんだかんだで一か月継続しており、既に50曲量産した。疲れた。

多い人では現在600曲とか1000曲とか登録しているので、とりあえず追いつくまでは粘ろうと思う。はげないか心配である。

 

今日は放置していたこの話の続きを書いていく。

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出典:Pixabay
 

 

○モンハンをやめる

中学3年。

一緒にモンハンをしていた連中が6人程いたが、徐々に人数が多くなり、とうとう嫌いな奴まで混ざってきたのでモンハンをやめた。

正直、この頃の記憶は他にはない。

 

○高校へ

高校は偏差値の低い所へと入学した。

はじめて教室に入った時は驚いたもんだ。どいつもこいつも垢抜けており、大人っぽくて、ヤンキーっぽかった。いじめられるかもとか思ったが、在学中にいじめはなかった(少なくとも男子はなかった。女子は分からん)。

この時の俺はとにかく明るく振る舞っていた。いじめられたくないし、1人になりたくなかったのだ。ハメを外したり、若干浮いた場面もあったが、すべて計算して演出していた。結果、高1のうちに結構な数の友達は出来たし、高2の夏休み前には女子の友達も結構いた。

 

○高2、彼女ができるも何も起こらず

全ての友人は、俺ではなく、俺の演技に惹かれていたということが分かった。生まれて始めての彼女は、素の俺などには微塵も興味を示さなかった。まあそれもそうだ。とりあえず恋人さえいれば陰キャラ認定は免れるというのが高校生だ、俺の御役はあくまでも「私の明るい彼氏」だったのだ。高校生の俺には早すぎた事実を、俺は受け止めるだけで精一杯だった。なのでデートに誘ったのも一回だけだったし、キスどころか手も触れないまま2か月で別れた笑。

 

高2の秋以降、俺の口数は減り、表情筋は凝り固まっていった。

演技をすることに疲れたのだ。とりあえずアホなことをやっていれば高校生活が充実するのではないか、と考えていた俺の自尊心はボロボロになった。「もう面倒だし、素でいたほうが楽やんけ」という考えに至り、友達を断捨離していった。どいつもこいつも、連れションやら遠足やら弁当の時間やらを一人で過ごしたくないから俺を利用しているのだろうと考えたりもしたが、利用していたのは俺の方だった。

結果、無口で何を考えてるのか分からない奴となった。あぶねえ。

 

ただ、中学時代の友人2人とバンドを組んでいたので、練習しているときだけは少しだけイキイキしてたかな。

 

それ以外の高校の頃の記憶はほばない。

 

○19歳。バイトを始める。

19になる年の4月から、俺は実家暮らしをしながら地元の食品工場でバイトを始めた。

仕事内容はいたってシンプルである。食品の粉末状の原料を、棒立ちしている俺の目の前でプルプル震えてるでけえ機械に入れるだけだ。いや他にもあるけど大体これだった。毎日無言でぶち込んでた。

手前みその話、かなりがんばって働いていた。ほかにやる事もなく、まだ自分の鬱耐性も生き地獄である日本の現状も知らなかったためだ。なにより、それまでバイトをしたことがなく、ずっと小遣い制だったので、金を自分で稼いでいるという現実は相当うれしかった。なので残業も結構やったし、休日出勤にも出た。職場の人も俺より年上の人しかいなかったが全員良い人だったので、まあ苦ではなかった。

そういえば土日は両親がパチンコで朝から夕方まで不在になったのだが、出かける前に昼食と晩飯は用意してくれていた。コンビニ弁当だったが、日が傾いてくる時に一人で食う飯は贅沢しているようでうまかった。

 

懐かしいな。なんだろう泣けてきたな。

 

 

バンドメンバーとの交友も当然続いていたが、正直それはバンドとは言いづらいものであった。集まるには集まるのだが、俺が曲を作って聞かせて見ても、やろうぜ!とはならなかった。

まずメンバーの中に他のメンバーを牽引しようと思っている奴が一人もいなかった。組もうと言い出したのは俺なのだから、俺がリーダーとしての役目を果たすべきだったが、出来なかった。「俺は作詞も作曲もするけどリーダーはやらんよ」みたいな雰囲気を漂わせていた。リーダーは絶対やりたくなかったのだ。当時の俺はグループのリーダーという存在自体を毛嫌いしていた。考えてもみてほしい。歌詞書いて曲作って、スタジオの器材調べて、メンバーの調子や得意分野なんかを考える・・・。これらは一人でやる必要はないのだが、日本の教育をちゃんと受けてきた俺は「自己責任」という概念をフワフワと信じ込んでいたのだ。すべての責任を背負い、すべての人に気を配る。それがリーダーであるとすっかり信じ込んでいた俺は、とにかくリーダーだけはやりたくなかったのだ。

 

それに加え、俺がバンドで叶えたかった作品の形は複雑すぎるものであった。

例えば「メロ、サビなどによる既存の概念での曲の構成を撤廃し、起承転結型の楽曲で勝負する」であるとか、「転調をぶち込みまくる」とか。こういう巧妙さを狙っていたのだが、聞き手のことを考慮してなかったわけではなかった。歌詞は分かりやすくしたり曲調を明るくしたりしてバランスを取っていた。しかしそれでも利己的な領域を超えることはできなかった。試聴したメンバーの薄い反応が全てを物語っていた。 

 

さらに、当時から作曲ができたっちゃ出来たのだが、今ほどガチではなかった。今でこそCubaseというちゃんとしたソフトを使っているが、当時作曲に使っていたのはバンドブラザーズとかいうDSのゲームに内蔵された作曲モードだった。それで作った曲をパソコンに録音し、パソコンにインストールされた編曲ソフトで楽器ごとの録音データを組み合わせるというかなり面倒かつ低品質なことをしていた。自分のパソコンを買うまでずっとそんな調子であった。

 しかもコード進行などの知識がゼロであったため、ベースとギターは単音のボボボボボというゴミみてーな音しか鳴らしていなかった。よくもまあこんなレベルでバンドメンバー唯一の作曲家を気取っていたものだ。

 

 つづく。

 

 

INFPは作業自体には時間をかけるな

〇音楽作ってるけどパフォーマンス見てるとしんどくなる

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こういうCMのように、青春!!みたいなパフォーマンスを見ていると、どうしてか羞恥心が湧いてくる。

だってこういう青春なかったし、こういう青春なさそうだった人間の音楽しか聴かねえしでうわあああああってなる。

表現ってなんなんやろ。

 

 

以下本題。

 

〇オーディオストック

INFPの作曲家ども(いるか知らんけど)喜べ。

俺のような自己肯定感が日本の最低賃金より低い奴でも結構余裕でオーディオストックの審査に通ることが判明した。

※ここ3週間で30曲のループ曲を作り登録しまくったが、審査そのものにやたらと時間が掛かっているらしく、審査を通ったのはまだ10曲ほど。

 

〇INFPは作業を速攻で片づけるよう心掛けるべし

3週間で30曲という破竹の勢いで作曲をしたが、作業を速攻で片づけるように工夫すればさほど苦ではなかった。曲も短いし。1分~1分30秒ほどのループ曲は凝った展開やサウンドなんかを作る必要がない、というのが作業の効率化に非常に役に立った。ちなみに平日の内の35時間ほどはアルバイトでつぶれるため、土日(休日)と出勤前の1時間と帰宅後の1時間ほどで作りまくった。

この2週間で、俺は俺なりの一つの結論が出せた。それは、INFPは作業に時間をかけてはいけないということだ。

 

〇INFP×タスク

俺含め世のINFPは長期計画を立てて放置する泣き虫さんである。

計画は、長期で立てても別に良い。じゃないとINFPは心が持たない。心は大事。

それにINFPってのはものすごーーーーーーく助走をつける天才である。それが長所なのか短所なのかは意見が分かれるだろうが、俺は支持する。

しかし殆どのINFPは助走の途中で「やっぱしんどいからやーめた」となる。

無論、INFPのDTMerも同じである。イントロだけ作って「やっぱやーめた」ってなる。

このゆとり共が。それがあかんねや。

 

INFPは作業の途中で「あ・・・これ失敗かも」と考えだしたらネガティブ思考に汚染されて朽ち果てる生き物なのだ。集中が途切れて息切れするような長ったらしいタスクが得意なわけがないのだ。

INFPは長期計画を綿密に立てて、作業自体には時間と体力をかけないことが肝心である。

ってことで作業自体には時間をかけるべきではない。

速攻で片づけるよう計画を立て、テンプレ等を用意するなどして工夫を凝らしおくのが良い。これを意識すると、数あるタスクを爆速で片づけることができる。作るものも手短に済ませられるようなコンテンツを意識すると良い。例えば動画なら、はじめから10分以上のものを量産するつもりでやるのではなく、2~3分程度のコンパクトなものを作るよう心掛けるとか。ブログなら手短に読めるように省略しまくった文章にするとか。

スタミナ切れが起きないようにすることを優先し、1時間ほど経ったら15分仮眠するとかでも良い。

とにかく短距離を走る工程を繰り返す。これを積み上げていけば、気が付きゃ膨大な作業をこなしている自分がいる。

 

〇INFP×DTM

DTMで例えると、まず曲全体の構成をしっかりと練り上げ、打ち込み自体には時間をかけないようにするのが良いと思う。

 ループ曲を作る場合で例える。

ループ曲もとい他者が各々の用途に合わせて使用する楽曲を作る際には、自分のオリジナリティを出来るだけ抑えなければならない。

・展開をシンプルに。

・コードやメロディが複雑すぎない(頭で考えさせない)。

・音量バランスは聴者の作業を阻害しないように心がけるようにする。

 などに気を配って作曲しなければならない。企業にとってクリエイターとは(想像するだけで吐き気がするが)部品にすぎないため、尖った才能には興味を示さないためだ。

これは逆に言えば、作曲の際には細かいことはあんま考えなくていい、ということだ。

シンプルなものを提供するのだという意識を持って作曲に臨めば、自ずと作業は効率化できる。これは、常日頃からオリジナル曲を作って発信しては評価されずに鬱になる、という工程を何度も経験しているDTMerにとっては朝飯前の仕事である。いや、それどころかもはやエリートである。日々オリジナル曲に葛藤している人間は、今自分が持っているプラグインやら音源やらをほぼ熟知しているし、打ち込みの技術もベテラン並みであるためだ。自虐系DTMerが短い曲を作るのに使う神経は知れてるし、審査も結構余裕で通るとなれば、それまで評価されなかったストレスが相殺されてやる気もでるってもんだ。

 

ループではなくてオリジナル曲を作る際には、"イメージ⇒音作り"の流れに時間をかけないようにした方が良い。音作りに時間をかけ過ぎたINFPの末路は「はえ~音作ったけど次の展開作るの面倒やな。Xvideo見て寝るか」 というものだからだ。時間をかけ過ぎるとアマチュア作曲家ってのは99.9999999999%そうなるのだ。俺も危うく飯岡かなこに骨の髄まで吸い取られるところだった。ほかにも、よく使うキックとかベースとかは今一度テンプレ化に気を配り、省略できる作業はとことん切り詰めるようにすることだ。

あとはSpliceなどのサンプルを惜しげもなく使うこと。これまじで大事。

他人が作った音なんて使ってられっかなんて青臭いことは日記に殴り書いとけ。そしてジジイかババアになるまで忘れてしまえ。

使えるもんは全部使う、ぐらいの勢いで走るのだ。とりあえず膨大な数をこなせば、鬱期の自分をも受け入れられるし、少しは楽になるだろう。

 

俺も今月の内にトータル50曲は作る予定でいる。なんか色々調べたら「1か月で30曲作る。今のところ1000曲弱登録してる」というアホみてーなモンスターがいることが判明したので、とりあえずコイツを勝手にライバル認定し、収益はともかく数だけでも追い抜こうと思っている。

 

とはいえ今後どうなるのかは分からんが。売れるといいなー。

 

はあ。

やけにテンションが上がってしまった。

曲が久々に評価されると私はこうなるようです。

以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺=INFPにとってのリアルはシュールなのか

下書き溜まりすぎて草ァ! 

 

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〇何かを考える時間

心の中に化け物がいても、飼いならせるなら問題ない。

飼い慣らすことが出来ている、と思う段階では、果たして本当に自分の素を隠せているのか分からない。自分ではコントロール出来ていると考えているその場面を停止してみて、別の視点から俺を見てみる。するとあーら不思議、全くコントロール出来ていないではないか。

たとえばそれは会話(言葉)に現れる。ちゃんと話せてると思っていても、三人称視点で見てみれば、どもり、つっかかり、単語を選び、終え、反省している。

出来ていると思っていても、実際には出来ていないということだ。

自分を客観的に見る行為は、とても難しい。

目の前にいる人は全員難なくこなしているように見える。あらゆる事を。

 

万事が万事この調子ではないところをみると、ギリギリではあるがとりあえず生きるに事足りる、というのが俺の現状なのだと思う。

 

〇INFPにとってのリアル

別の言い方をすれば、俺と他者との間に境界線が見えるのだ。

いや皆そうだから、と言われるだろう。

事実そうだろう。

あれ、じゃあ良いのかいや良くねえ。

インターネットは自分の欲している情報が都合よく表示される仕組みになってる。ネットを介した情報格差ビジネスの犠牲になっていない人間などもはやいないだろう。

ということは、俺が「みんなそうだわwww」と思い続ければ、その内パソコンの画面も同意してくれる。詳しい仕組みは知らんが、アルゴリズムによって俺は安堵する機会を与えられ、正反対の現実を強引に閉ざしてしまう・・・。

そういう流れなのではなかろうか。

そうだとすると、やはり俺と他者との間にある境界線は現実だし、考察するなと言われても深読みしてしまうのである。時間と体力の浪費だとしても、俺の脳みそは勝手に御託を並べ、拙い知識と鈍い知恵が働き、俺をさらなる孤立した大理石の足場へ誘導するのだ。

 

この境界線は、「人生とは何ぞや」だとか、「なんで俺らって恋すんねん」だとか、「歌詞のない音楽?おもろいんかそれ」だとかに対する答えの相違によって滲み出るものであることは間違いない。

 そういう細かい因子は砕けて惑星となり、人の核に根を張り寄生していく。

アイデンティティだとかパーソナリティだとか、この際言葉は何でも良い。

 

俺の尊敬する人が言っていたのだが、人はみなコミュニケーションの練習をしていないので、ほとんどコミュ障なのだそうだ。

価値観も同じことが言えると思う。

俺たちは価値観を受け入れる練習が不足しているのだ。なので他人の思想を受け取れるスペースを確保していなかったり、考え方を時にはアメーバのように柔軟に変えることが出来ないので、価値観は凝り固まってしまうのだろう。

そういう各々の考えは、言葉にせずとも見えることがあるのだ。INFPにとって目を塞ぎたくなる現実はこういうものに映っている。

 

〇とはいえ

ならば一般的と呼ばれる考え方に自分を押し込めるか?過呼吸にでもなりながら、無理矢理にでもこの残酷で冷徹な社会にチューニングを合わせるのか?

とても出来ん。

身が捻り切れそうだ。

やはり、ある程度の距離は常に欲しい。心を許せる人に会いたいという欲もあるが、俺の価値観や行動、それらの契機がシュールなものとして認識される手前、「自分は繊細さと大胆さを兼ね備えた不思議なニンゲンである」という自覚ぐらいはしておいた方が良いのかもしれん。

 

〇あなたの風が吹くから

あなたにとってのリアル

それは他の人にとってはシュール

だから何なの ありのままの心を見せて

 

↑ここ好き。