INFPの転々白書

その時の価値観を書き殴る。

普通という名の難易度ハードな要求

作曲についてでも書くわ。

 

ブラック企業は安くて便利なサービスを要求しまくるクソ消費者によって生まれると考えている。これは社会に出てから始まることではない。人は学生時代から、他人に無茶なサービスや共感を要求するのだ。ほれ、アンタも心当たりあるじゃろ?してきたしされてきたやろ。アレや。

 
普通そうするよねとか、みんなやってるよとか。
 
俺は口が裂けてもこんなセリフを吐かない。それはガキの頃にこれらのセリフを吐き、無知を曝け出していた過去を反省しているからである。もし今後これらの戯言を抜かしたとなればマジで口が裂けても良い。それ程の覚悟を持っている。
 
 
DTM(作曲のこと)において、聞き手が求めるクオリティとは、プロ並みのクオリティのことである。
人は供給者と消費者を交互に行き来する。そして人が音楽を聴くときとは、その人はほぼ例外なく消費者となっているときだ。彼らが音楽に求めるクオリティのハードルは高い。高めに設定してある。普段から音圧かましまくりのブンブン音楽を聴いている者は、知らない曲を聞くときにまず音圧に着目する。EDMしかまともに聞けない奴は踊れるかどうかというハードルを高めに設定して知らない曲を聞くのである。それにしてもコンプかけまくって音圧を稼げばプロっぽくなるみてーな風潮には音圧戦争当時から嫌気がさしていた。これ牽引してた奴らはまじ死んでいいよ。ゴキブリとかジャガイモを500回くらい輪廻転生してから出家しろ。
とにかく、この設定されたハードルこそ、彼らの言う"普通"ってやつだ。
一方作曲者であるDTMerは供給者として曲を書くのだが、供給者の耳のままミキシングまで進んでしまうことがある。俺である。これはもう交通事故ですよ。Cubase内での大事故ですよ。あなたの車大破してますわよ。
 
こればかりは、消費者の求める"普通"という水深まで作品を落とし込まなければ、まず聞かれないし評価などされない。

妙にこだわりのある奴にとって、これが面倒なんよね。
音圧なんて稼ぐ意味ないと思えば、その曲に、あるいはその作曲家にとって音圧は必要なくなるのだから。
 
DTMerはここで二つに分岐する。
まずひとつの道は、要求を受け止めることである。
結局これが一番の近道である。ツイッターとかで自分と同じようなことしてる人たちの呟きを見よ。みんな消費者目線で様々な情報を開示してくれている。音圧の掛け方だとか、コスパの良いプラグインだとか。お前もウダウダ言ってないでこっちこいよ、と言わんばかりの情報と同調圧力の嵐である。挙句には、これら全ての利便性を享受しないやつは馬鹿だとまで言われる。
俺はその馬鹿なので、そんな集団下校を傍目に、それって本当にたった一つしかない正解なんか?もっとおもろいやり方ないんか?と考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えるのである。そして、そんな捻くれた性格こそ、作曲の最大の糧になっている。
これがもうひとつの道である。
音圧だのプラグインだの、みんなが効率良いって言ってるからという理由で決めるより、逐一自分で調べた方が楽しいのである。こんな不器用な生き方、苦労するしつーかしてんだけど、作曲においてはこの疎外感、そう疎外感が大切なのである。ほら、小学校のころにさ、Aくんと一緒に帰ろうと思って教室の前で待ってたらさ、Aくん別の奴と走って先に帰っちゃったことあったやん?あれよ。あの感じよ。Aくんあんた最高だね。
ただし、忘れてはならないことがある。
俺は同じ供給者に置き去りにされようとも、決して消費者を置き去りにはしないよう心掛けている。
すなわち作曲に際して風潮だの流行だのは割と好きな配分で構わないが、書き手のこと忘れちゃかんよと自分によく言い聞かせている。
ここのバランスさえきちんとしていればまあどーにかなると思うわ(適当)。