INFPの転々白書

その時の価値観を書き殴る。

YouTubeはなぜテレビに似てゆくのか

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若者の間でテレビ離れだのが顕著になっても、テレビが国民に与える影響はさほど変わっていない。それはテレビ番組の無断転載の再生数を見ればわかる。俺もマネーの虎という番組の切り抜き動画を投稿したことがあるのだが、上げたその日からえげつない程に再生されたのだ(その動画はもう消したが)。なるほど、そりゃ転載して金儲けする奴が増えるわけだ。

テレビの企画の真似をするYouTuberの出現は至極当然の流れ。男気ジャンケンだの帰れまテンだの、テレビの企画は親近感(既視感故の)が沸きやすいので、視聴者は大学生の合コンのノリで楽しめる。あーこれ俺も知ってるwwwは○めしゃちょーも知ってるんだwwwみたいな謎の高揚感が彼らのコメント欄やツイッターからは伝わってくる。

 

今のYouTubeで活躍している10代から30代までの世代は、テレビをコンテンツとして楽しんできたと同時に、ある種のお手本・教材として眺めてきた。空気読めや滑ったといった「ネタ的コミュニケーションのアイテム」は、テレビによって感染満了した。ネタ的コミュニケーションについては調べれば出てくるのだが、特定のグループやコミュニティ内で交わされる、具体性<愉快性の会話のことで、その際にはそのコミュニティ内で認知されている言葉を用いるパターンが見られる。ネットに例えるとなんj民の淫夢語録でのやり取りのようなものだ。

かつて俺たち日本人がそのようなコミュニケーションを行う際に使う語録は、全てテレビからの影響だった。そんな凄まじい体験をして育ってきたことは無意識にでも認知せざるを得ない。さらにテレビの企画やタレントなんかも何度も見ているので、何が視聴者に受けるのか、どんなキャラを演じたら楽しんで貰えるのかがよく分かってるわけだ。ひとつの方向に偏ることも当然、だってバズる確率が上がるんだもんな。やってない方がアホだ。

あとはサムネや編集なんかだが、これも今や合理化され、整理されている最中である。サムネは印象第一。編集は間を詰めてテロップを貼りまくることで、短い時間で出来るだけエンタメ見てる感を与える作りにする。これは忙しい現代人の消費娯楽(しかもタダ)として相当理想的だ。パッケージからコンセプトが分かりやすい上に短時間で楽しめて食べられるビスケット。こりゃ食うわな。みんな食い過ぎで超過需要だ。供給側はより密度の高い動画を短期間で投稿しなければシェアを奪われるため、パッケージ化されたテンプレを使わざるを得ないサイクル。スマホSNSで娯楽性の高い格安サービスが半ば当たり前となったので当然起こる流れ。

そして次は現在のYouTuberを見たガキがYouTuberになってゆくと。今よりももっも合理化されパッケージ化されたお決まりってやつを片手に「学校のみんなマジで右向け右しすぎ!もっと個性が大事!面白いこともしたい!俺には個性があるし笑いのレベル高いから絶対有名になる!」とか騒ぎ始めるんだろうな。そういう方向に活性化してゆくことはまあ間違いないと思うわ。

と同時に、何かもっと別のベクトルで伸びる奴もきっと出てくるだろう。こっちの連中は希少だからいくら増えようが飽和気味という感覚さえ抱きにくいのが強いよな。アングラ感漂うネットの時代が好きだった俺にとっては、こいつらこそがヒーローであってヒロインであってロックであってジャズであって発明であって発見だ。